幾何学図形に切り取られた、ギンガムチェックやストライプ、花柄、動物柄、赤と緑の補色関係の組み合わせ。一見まとまりのない主張のある布どうしが、キルトアーティスト・伊佐治栄里の手にかかると、不思議と調和する。四角や三角の色とりどりの布が、パズルのように組み合わさって、まるでリズムを刻むかのように生き生きとした表情を見せてくれる。キルトの持つ温かくて優しい雰囲気の中に、モダンさと意外性、少しのクレイジーさをしのばせる−伊佐治の作品が、見た人に忘れられない印象を与えるのは、そんな相反する魅力が同居するところにあるのではないか。 伊佐治は、母がパッチワークキルトを嗜む人だったこともあり、幼い頃から常に洋裁が身近にあった。美大に進んだ頃から、自分が好きなデザインのキルトが欲しいと思うようになり、自分で集めた布で、自らデザインをして、母に縫ってもらうようになった。大学でテキスタイルを学んだ後、CMや映画の造形美術を手がける会社に就職した。妊娠を機に、まさに母がそうしていたように、技術を教わりながら自分でキルトを縫うようになった。その後、勤めていた古書店から声がかかり、初めて自分で作ったキルトクッションを発表したのが2015年。そこから徐々に話題は広がり、ギャラリーやセレクトショップで個展を開催するようになった。ブランド名のmornquilt(モーンキルト)は、車の中で流れていたスフィアン・スティーブンスの讃美歌の歌詞にピンと来て、名付けた。”morn”は朝を意味する。丸っこくて、柔らかい響き、ポジティブな印象もキルトの雰囲気にぴったりだと感じている。
mornquilt
柄と柄が紡ぐ、優しくてクレイジーなキルトワールド

母から繋ぐ、キルトのバトン
GEE’S BENDキルトの世界に魅了されて
2007年に資生堂ギャラリーで開催された展示「アフリカン・アメリカン・キルト」でGEE’S BENDのキルトに触れた伊佐治は衝撃を受けた。19世紀末、アメリカ南部のGEE’S BENDで発祥したキルトは、アフリカ系アメリカ人の名もなき女性たちが、貧困の中で、自分たちの暮らしのために作ったのが始まり。それは、伝統的なパターンがきっちりと綺麗に縫い合わされているもの、そんなキルトの既成概念を覆すものだった。隔離された過酷な環境に置かれた彼女たちが、手元にある生地や古着を使い、誰に見せるのでもなく、自分たちのために、ささやかな喜びを見出しながら作ったキルト。縫い目は曲がり、パターンは歪で、仕上がりも決して綺麗とは言えないが、大胆な色使い、自由でおおらかなデザインに、「パッチワークでこんなことができるんだ!」と、当時の伊佐治にとって、目の前が開けた気がした。こんな自由で既成概念に囚われない、遊び心のある作品を自分も作りたい。以来、彼女のキルト作りのベースには常にGEE’S BENDキルトへの憧憬があり、煮詰まった時には展覧会の図録を見返して、制作の糧にしている。
45cmのキャンバスの中に表現する、自分らしさ
フルタイムで縫製に関わる仕事をしながら、キルト作家として自身の作品を作る日々。仕事の方ではミリ単位の正確性が求められる一方で、自分のキルト作品は肩肘張らず、楽しみながらコラージュしていく感覚で作っていく。方眼紙に布地の形の組み合わせ(パターン)を描いて全体のパターンを決め、実際に使用する布地は、その場その場で合わせながら吟味していく。定番のキルトクッションは、真四角のキャンバスに絵を描く感覚だと話す。キルトは表にくるトップの生地を、パズルのように一つ一つ縫い合わせて一枚のパッチワーク布にして、その下に中綿、裏地を合わせて再度、縫い目に沿って手縫いで縫っていく、時間も手間もかかる技法だ。それでも元来、手を動かすのが好きだという伊佐治にとって、縫うという作業は「無」になれる大切な時間だ。キルトは趣味でやっている人も多く、高い技術を持った人がいくらでもいる。その中で自分が作る意味は、と考える。きっちりと綺麗に作りすぎないことや、型にとらわれすぎず自由であること、ちょっとずっこける可笑しみがあることが、自分の持ち味。45cm角のキャンバスに、誰かのお気に入りになってねと想いを込めて、一目一目、針を刺す。
- 1982
- 岐阜県生まれ
- 2005
- 武蔵野美術大学卒業
- 2015
- mornquilt を開始