ihar glass

私の感性を象るガラス

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コロナ禍で対峙した自分自身

作家の伊波がガラスに出会ったのはコロナ禍の2021年。長くファッション業界で服飾雑貨のデザインやブランディングに携わってきた。サイクルの速いファッションビジネスは、シーズン毎に新しいものを発表し、流行に沿うもの、売れるものを作り続けなくてはならない。自分の出しているものと気持ちが乖離し始めていた時、コロナ禍が襲った。自分自身と向き合う時間が増える中で、少しずつ感じていたものづくりに対する違和感が、大きくなった。売れる売れないの基軸ではなく、心躍るもの、流行に左右されないものを、より持続可能な形で作ることはできないか、そんな思いから、「リサイクルできる素材ってどんなものだろう」と考えるようになった。沖縄出身の伊波にとって、琉球ガラスは身近な存在であったし、ディレクションしているブランドの最初の作品もガラスで発表したこともあり、ガラスという素材そのものは身近なものだった。何より100 %リサイクル可能なガラスは、彼女の思いを受け止めてくれる素材だった。こうして、ガラス工房の門を叩くことになった。ガラスを始めてみると、その魅力にどんどんのめり込んでいった。ガラスを作っている時は、まるで瞑想しているような感覚だと話す伊波。目の前の溶けるガラスを見ながら、ただガラスの動きに集中し、自分の作りたい形を作る、そんなシンプルで真っ直ぐな行為が心地よい。売れるものではなく、自分の内面に深く向き合って、感性からものを作ることができる。ものづくりに対して生まれていた迷いが、ガラスによって払拭された。

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柔らかくどっしりと

水を湛えたかのような変形の塊、透明の球のようなものが付いたグラス。iharのガラスはまるで無重力空間で水の塊が自由に変形したかのような、柔らかなうねりが生むアシンメトリーな造形、そしてどっしりと厚みと重量感のある作風が特徴だ。作品は主に吹きガラスの手法で作られているが、中でもピンブローという技法はiharの作品にたびたび用いられる。竿に巻きつけたガラスを溶解炉の中でゆっくりと溶かしていき、ガラスが柔らかいうちに針で突いて穴を開け、さらに濡れた新聞紙で穴を塞いで水蒸気で膨らませる手法だ。それを再び溶解炉の中でゆっくりと回しながら、重力と遠心力を使ってガラスを開いていく。大方目指す形になったら、ガラスが熱いうちにスティックを当てながら、ゆらゆらとしたヒダを付ける。その後、ガラスを竿から切り離し、仕上げをした後、冷却炉でゆっくりと温度を下げていく。彼女の制作は、自分の作品という“枠”にガラスを嵌め込むのではなく、ガラスそのものの動き、偶然性に身を委ね、ガラスの声を聞きながら形を決めているようにも見える。そのため、作品は一つとして全く同じ形はなく、一点一点が表情や個性を持つ。作品のイメージは彫刻からヒントを得ることが多い。ガラスを始める以前から、ブランクーシ(ルーマニアの彫刻家)が好きで、対象物の要素を削ぎ落とした、抽象化されたフォルムに魅了された。そういったこともあり、テーブルウェアよりもオブジェやアートピースなど、インテリアとして成り立つものを、制作の主としている。

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サステナブルなものづくりを

沖縄で生まれ育った伊波にとって、子供の頃から“アップサイクル”は当たり前に生活の中にあった。庭には畑があり、残飯は土に還して土を育て、そこで野菜を作り日々の食卓に使った。当たり前にしていたので、敢えてそれがアップサイクルだとして意識したこともなかった。20代で東京に出て、消費し続ける生活に、“東京だから、こういうふうにしか生きられないんだ”と決めつけていた。仕事にプライベートに、走り抜けた。そんな中で、コロナ禍によって立ち止まるきっかけができ、ガラスという素材に出会った。ガラスは水と氷に似て、溶けても固まっても素材自体が変わらない。不純物が入っていないので、基本的に100%リサイクルできる素材だ。ガラス工房では失敗した作品や不要になった作品、日々の作業で出てくる破片や竿に残ったガラスなども、ゴミを取り除いて再び溶解炉に入れて再利用する。ガラス業界では当たり前のことだが、70%リサイクルできれば合格といわれる中で、 100%リサイクルできるガラスという素材はまさにこれからの時代の素材とも言える。「ガラスは元々は砂でできていて、彫刻も陶器も元を辿れば砂。人も亡くなれば土に還る。全てがサイクルで繋がっているなとロマンを感じる。」と伊波は言う。素材としてサステナブルなだけではなく、自身の作品も流行り廃り関係なく長く偏愛されるもの、持ち主が変わっても、受け継がれて使われていくもの、そんなものづくりを目指している。

“atelier_3”
1985
沖縄県出身
2009
大手アパレル会社 就職
2012
ショップスタッフを経てバイヤーとして従事
2014
独立。ディレクターとしてディレクション業務に携わる。
2021
吹きガラスに出会う
2023
作家活動を開始